2023.11.5
Noriyuki Misawa
2000年代を生きる我々、特に日本人にとってのクラシックシューズ、いわゆるトラッドシューズの歴史はまだ150年ほどしかない。靴の歴史を辿れば、そのはじまりは紀元前にまで遡るともされる中で、150年という単位は一時のムーブメントくらいの長さでしかないにもかかわらず、それをあたかも永久不滅のデザインのように我々は認識している—
自身もクラシックシューズを軸に職人としての技術を高めてきた三澤氏がインタビューの序盤でお話くださったのはこんなことでした。
決して自分が身を置いている世界に甘んじたり、そこに絶対的な価値を見いだしたりすることはなく、常に新しいもの、新しい世界、新しい価値観を探究し続ける姿勢。そこにアーティストとしての三澤氏の活動が重なります。アートピース制作はあくまで自分の趣味で、そこからインスピレーションを受けて、全く新しい“実用の靴”を生み出すことが目的だと話す彼の作品〈MASAMUNE Ⅱ〉をベースに今回River特別仕様の新しいモデルとして誕生した〈Copper〉もそんな制作過程を経て誕生しました。都内にあるアトリエにて、たっぷりとお話をうかがいました。
三澤則行 Noriyuki Misawa
(職人・アーティスト)
宮城県出身。幼い頃から母親の趣味である美術画集に囲まれて育ち、工作や絵画に没頭した少年時代を送る。その後地元のとある革靴店との偶然の出会いから靴づくりの道に飛び込み、東京都、オーストリア・ウィーンで10年間修業。帰国後2011年に自らの工房兼靴教室を構える。現在はビスポークシューズの制作だけでなく、世界中の様々なジャンルのアーティストとのコラボレーションによる作品制作等、活動の幅を広げている。
そもそも、三澤さんの靴をRiverでお取り扱いさせてもらえるなんて思ってもいませんでした
伊藤「三澤さんの靴は以前からもちろん知っていましたが、初めて三澤さんにお会いしたのが、Brift Hと月光荘との3ネームで発表されたShoeshine Paletteの受注会へお邪魔した時でしたよね。その時、僕がRiverを始めることは決まっていて、Brift Hの長谷川さんから、取り扱う商品についていろいろ聞かれていて、靴は何を扱おう?ってなっていたんです。三澤さんを目の前に大変失礼ですけど、『靴は何を取り扱うかまだ決まってなくて、長谷川さんなんかいい靴知りませんか?』とか聞いたりしてました(笑)そこで三澤さんがすっと、『もし何かあればご相談ください』とおっしゃってくださって。まさか僕が三澤さんの靴をお取り扱いできるなんて思ってもみなかったけれど、そう言っていただけたらからその後連絡させていただいて、アトリエにお邪魔して、という流れで今回のお取り扱いは実現しました。そもそも三澤さんの靴がビスポーク以外でもオーダーできるなんてというくらいの認識だったんですが、現在アーティスト活動とそれ以外の活動の比率ってどれくらいですか?」
三澤「アート作品制作は半分もないですかね。3割アート作品、残りはビスポークの靴とかそれ以外の靴制作って感じです」
伊藤「ビスポークじゃない靴っていうのは、お客様がたとえばこのアトリエに来て、このモデルをこのサイズでって注文されても受けていただける感じなんですか?」
三澤「当然できますし、サイズを測って、補正はどうしますかというカウンセリングもできます。どうしてもアート作品というのはキャッチーなので取り上げていただきやすいですし、打ち出してはいますけど、あくまで自分の趣味としてやっていて。ただ完全に趣味で、靴作りに全く関係ないかって言われるとそうではなく、アート作品を作る中で得たノウハウとか自由な発想を靴作りに落とし込めるという良さもあって。クラシックシューズだけをやっていたんじゃ新しい発想って生まれなかったなって。今回の靴もまさにそうです」
伊藤「僕がまず三澤さんの靴をお取り扱いさせてもらえるかもしれないってことで初めてアトリエにお邪魔することになったとき、どんな靴がいいかなあって、インスタグラムとかホームページで過去の作品を全部拝見したんです。その中でやっぱり自分がRiverで取り扱うなら、絶対自分が履きたい靴じゃなきゃ意味がないと思って。僕の頭の中にはまず白い革靴がいいなっていうのがあったんですよね、最初。新しくオープンする店で初めての靴が白って天邪鬼でいいなって思ったし、お店のコンセプトとしてもそんな天邪鬼なものの提案をって思ったりもしてたので。かつ、僕はあまり紐靴を普段履かないので、すぽっと履けるローファーとかがいいなと。そんなイメージを膨らませながらここに来たんです。そうしたら、ショーケースの中に飾られていた〈MASAMUNE Ⅱ〉が目に飛び込んできて。これむちゃくちゃ格好いいじゃん!って」
三澤「今回のRiver特注の〈Copper〉のベースとなった〈MASAMUNE Ⅱ〉は、去年伊達政宗家にまつわる由緒正しき銅の職人さんとコラボレーションをして作った銅の靴から着想して生まれました。銅の表面って叩かれているので、槌目がつきます。それが細かかったり粗かったりランダムだったり、均一だったり。僕もこのプロジェクトの際には工房で銅を実際に叩いたりしました。プロジェクト自体は無事に終わったんですが、その後でも僕の中では不完全燃焼な感じが残ったんですよね。僕は一から十まで自分で完結させることがあくまで好きなので、職人さんがいないと完成しない今回の作品を通過した今、自分でできることってなんだろうって、道をぶらぶら歩きながら考え続けていたんです。そのときに思いついたのが〈MASAMUNE Ⅱ〉でした。靴って叩いちゃうこともできるけど、意外と世界でやっている人っていないなって。ただうまくいく保証はなかったので、素材選びから始まり、ハンマーも削り込みからやってみたら、うまくいったんです。これはもうまさに、コラボレーションを自分でものにして、一から新しいものを生み出したという満足感がありました」
伊藤「僕は、この槌目が銅を彷彿とさせるというよりは、水面を感じたんですよね。Brift Hの長谷川さんのことばを借りると、風が強い日の川の水面っぽいというか」
三澤「〈MASAMUNE Ⅱ〉の制作で、常に自分が目標としている、自分の考える全く新しい靴を生み出したいという部分が満たされていましたから、全くおなじものを伊藤さんに提案するのは違うかなと思いました。なので、〈MASAMUNE Ⅱ〉で施されていたソールの銅の飾りなどは排除してあくまでファッションとしての靴に近づけました。革の叩きも変えています。〈MASAMUNE Ⅱ〉は単品で飾ることを想定している叩き具合ですが、〈Copper〉は人が履いて、雨風に打たれて経年もあって、なおかつコーディネートの中で活きないといけない。だからもう少し主張があってもいいのかなと思って少し強く叩いています、オリジナルの叩きです」
伊藤「なるほど!それは気づけていなかったです。これは10年20年と履いていって、叩かれているのが弱まってきたりするニュアンスの変化がずっと楽しめることになりますね。あと色もなんですが、深いネイビーのような、黒ではない深い色が、水を連想させていいなとも思ったんです。最初は白い靴って思っていたところから真逆になりましたが」
三澤「これはもう偶然の産物ですが、普通に黒い靴にしようと思って黒に染めたんですけど、真っ黒にならなかったんです。ネイビーよりも薄い青のような色で。それがなんだかいいなって思って、結局黒にはせずに青い色を残しました。真っ黒でないほうが、この槌目との相性がいいなという。黒に寄せたかったら黒いクリームとかワックスで補色すればなりますけれど、色は飛んでいくので、いずれ青がより際立ってきます」
伊藤「そう、退色していく過程も本当に美しいなと思います。ラフに履いてもらってもいいですし、気になったら補色ももちろんあり。ということで、今回はBrift Hの長谷川さんにこの靴のためにオリジナルクリームを開発していただきました。ネイビーみたいだけど黒に近い、でも黒でもない、この靴の色のイメージです。今回オーダーいただいた方には差し上げようと思っています。あとは靴の作り込みも少し伺えますか?」
三澤「細かい話ですが、ビスポークの世界のフルオーダーメイドの仕様になっています。ベベルドウェストっていうウェストを絞り込んだ仕様。縫いのピッチもですね。超細かいです。履いていくと、糸目が底面にちょっと見えてきますけど、既製靴ではあり得ない細かさで縫っています。作りは完全にビスポーク仕様ですね」
単純に他の人よりも靴を作ることに向いていた
伊藤「三澤さんはそもそもなぜ靴だったんですか?」
三澤「ずっとナイキのスニーカーしかり、なんでも靴が好きだったんですよね。高校生の頃にレッドウィングを並んで買ったりとか。大学生になったらそれがステップアップしてトリッカーズを履くようになったりとか。当時って靴の情報は一部の雑誌から得るか、セレクトショップに行って店員さんに話を聞くくらいしかなかったんですけど、そうしたらどうやらポールハーデンっていう10万くらいする靴があるらしいとかを知ったり。そうやって自分の欲がどんどん高まっていたタイミングで、地元の仙台にとある革靴屋さんがオープンしたんです。そこに入ってみたら、ジョンロブっていう15万円くらいの靴があるんですよ。あれ、靴ってトリッカーズが一番なんじゃなかったんですか?みたいな、自分の中ではすごく衝撃的な出来事で、靴の世界ってどんなことになってるのって思って、そのお店に毎日通っては靴の話をしにいくみたいな生活をしていたんです。ある時初めて、“靴づくり”っていうワードを耳にして、そうか、靴って作れるんだって。今でこそ、靴職人というワードは広がっていますけれど、当時は誰も、靴を作れるなんて考えてもなかったですから。そこから急激に靴の世界にのめり込んでいって、10年間東京やウィーンで修業をしました」
伊藤「興味が深まるとやっぱり作るということに至るんですかね。僕らで言うとファッション好きな人は突き詰めてやっぱり作りたいってなる人も多いですし、僕自身もそれで服作りを学びに学校に入ったんですけど。でも僕は作るのが向いてなかったです。作るのがつらくて、着ていることが結局楽しかった。三澤さんは作ることも楽しかったんですね」
三澤「正確に言えば、楽しかったかって問われると別に楽しくはなくて、でもすごい向いているなあって思ったんです。どんどん作っていくと、他の人より上手く作れるし、突き詰めて制作すると群を抜いて上手いみたいなことになって、めちゃくちゃ向いているんだなあって実感することがありました。それがわかってくると、その感覚が楽しいというか。楽しくて仕方がなくてルンルンして作っているというよりも、何かの目的のために集中して、結果いいものが完成したときにはじめて楽しいというか満足感が得られるような感じですかね」
伊藤「じゃあ他の人よりも純粋に靴を作る才能があったということですね」
三澤「学校で一番絵が上手い人とか、一番工作が上手い人ってどこにでもいるじゃないですか。自分はまさにそのタイプで、絵を描かせたら三澤、みたいな感じだったんですけど、そうは言っても宮城県の片田舎の地域だったので、まあこんなやつなんて世の中にはごまんといるだろうと感じていました。自分の器用さはそこまで過信していなかったです。でもやってみたら上手くいって、結構自分の能力って高いところにあるのかも、ってあとから感じていきましたかね」
伊藤「お母様が趣味で集められていたという画集を見て育ったというのを聞きましたが、そういったことは今の三澤さんに影響があったと感じますか?」
三澤「今思うとめちゃくちゃ影響しているなあと。母親はあまりいい育ちではなかったからか、芸術とかハイソな生活みたいなものへの憧れがあったんでしょうね、それで家にお飾り的に画集を置いていたんです。世界の名画家の作品集みたいなものをコンプリートしていて。それでも母親は別に見ていないんですよ。そこに僕がハマって、ずっと画集を見て育ちました。今思えばその時にインプットを自然にしていたなって感じます」
伊藤「のちにウィーンへ行かれましたよね。自然に芸術に触れていたからこそ、芸術の街にいくことにすっと馴染めたんでしょうかね?」
三澤「それもあるのかもしれないですね。そもそも20代ずっとこの伝統的な靴作りというものを学ぶために工房にいて修業をしていました。職人的な技術をかなり高いレベルまで突き詰められたかなと思っていたんですけれど、いざ独立が視野に見えたときに、世の中にあるもののコピーしかできないって思ったんです。決まった型を上手に作るっていうことはできるけれど、三澤印みたいなものがなにもなくて、それで自分の世界を広げる必要があるなと思って、安直ですけど海外に行こうって思ったんです。それで選んだのがウィーンでした。イタリアとかイギリスみたいな有名なところではないけれど、実はウィーンはハプスブルグ家があってヨーロッパで最も栄えていた場所でもあるんですね。貴族文化が華やかに育っていた場所だったことも魅力に感じましたし、あとはやっぱり芸術の街というところにも惹かれました。そこで伝統的な靴作りの技術をさらに追求するのが目的だったんですけど、靴の工房以外にも新進気鋭のデザイナーさんのもとで働かせてもらうこともできて、その時間がなにより素晴らしかったです」
世の中にない靴を作ろうと挑戦することこそが自分のやりたいことだなって気づいたんです
伊藤「そのデザイナーさんのもとでは、靴作りではないことをしていたわけですね?」
三澤「そこではそのデザイナーさんが考えるものを型紙におこしたり、試作品を作ったりしていました。それを持ってチェコとかハンガリーの工房に出向いて、こうやって作ってください、これを1,000足作ることは可能ですか?みたいな交渉をしていました。めっちゃくちゃ楽しかったですね。もちろん、自分が工房で学んでいた時間にも、カルチャーショックがたくさんあったしいろいろ勉強にもなったんですけど、そのデザイナーさんは、全く違う靴を作っていたんですよ。アプローチから全部違うんです。単純な靴作りのアプローチじゃなくて、生地と生地を貼り合わせて靴の形にしてみました、みたいなアプローチでものを作ったりとか。とにかく斬新で、新鮮で、自分たちにしかできない靴を作ろうという強い気持ちを感じました。そこで、技術力ってすごい大切なことではあるけれど、自分にとっては、世の中にない靴を作ろうと挑戦することこそが自分のやりたいことだなって気づいたんです。伝統的な靴を上手に作って、それこそが三澤印なんじゃなくて、見た目から明らかに違う靴を作って、歴史に残るような靴を作る、そこに挑戦するっていうのが自分のやりたいことなんです」
伊藤「今の三澤さんのスタイルに気づいたのが、ウィーンだったのですね」
三澤「そうですね。それと同時に、芸術の街ウィーンなわけですから、美術館巡りとか、芸術の探究をしていたんですけれども、ふと、美術館にあるような芸術品のような感覚で靴が存在していてもいいんじゃないかなって思ったんです。アート的な靴ってたしかに存在はするけれど、技術のある人がアートのような靴を作ることって意外とないなって。これが自分にとっての新しい靴になるかなと、そのきっかけをウィーンで得た感じですね。それまでは職人の技術を、虫眼鏡で見ても破綻がないようなレベルの技術を磨いていたので、そうじゃない広い視野で靴を捉えることができました。ただクラシックシューズを捨てるとかいうことではなくて、自分の強みっていうのは10年培った職人としての技術力だから、そこを生かして、アートと融合させた新しいものができないかなって、常に考えています」
世界中の著名人からオーダーを受けたり、アーティストとのコラボレーションが続く三澤氏。アトリエにはそんな軌跡を感じさせる写真や作品がひしめき合っています。美しい道具一つひとつを見ていても、その靴作りの技術が確かなことを窺い知ることができます。そんな三澤氏の作るRiver特別モデルの〈Copper〉受注会にぜひお越しください。11日、12日は三澤氏も在店いただくことになっています。この特別な2日間のご来店はご予約制になっておりますので、気になる方はRiverまでお問い合わせください。
Order Event
Noriyuki Misawa
23.11.10(Fri) – 11.14(Mon)
Delivery Date : End of March
Text : Yukina Moriya(@yukina.moriya)
Photo : Ryuhei Komura(@ryuhei.komura)